Japanese

日本セルビア映画祭

「映画とは闇の中から光を求める運動である」 

JSFFはセルビアと日本を拠点とする映画の祭典です。 コンペティションと上映会を軸とし、映画を愛するあらゆる人たちのためのプラットフォームであることを目的とします。


コンペティションはセルビアと日本を中心に作品募集を行いますが、映画祭の信条に賛同するすべての方にご応募いただくことができ、それらの中からセルビアと日本の審査員が受賞作品と上映作品を選出します。

受賞作品の発表を兼ねた上映会は毎年東京とベオグラード(セルビア)にて同時開催され、多くの人々が訪れます。
それ以外でも年間を通して両国内のみに限らず優秀作品を上映する機会を作るなど、映画を通しての輪を広げる活動を行っています。

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JSFFの由来


セルビア共和国(バルカン半島に位置する穏やかな気候の内陸の国。かつてのユーゴスラ ビアに属していた。人は情に厚く行動的。)には日本文化を研究したり紹介する活動を行っているSakurabana(サクラバナ)という団体があります。

このSakurabana(サクラバナ)はJapanizamというイベントを毎年開催しています。首都ベオ グラードの市民ホールを会場にして日本の伝統文化をはじめ現代アートやポップカル チャーの展示をしたりワークショップなどを行います。地元の新聞で紹介されるなどセル ビアでは知られた催事で、日本文化に触れるこの親密なイベントを多くの人々が楽しんで いるようです。

このような中で4年前(2014年)のJapanisamに変化が起こりました。二人の 映画大好きセルビア青年が参入して日本映画を上映するコーナーを新設したのです。しか も上映する作品は配給会社などから借りるのではなく、自分たちで公募するスタイルをとりました。
彼らにとって試みの企画でしたので短編映画だけを扱いました。それならばボ ランティアスタッフだけでも運営ができると思ったからですが (ゆくゆくは長編映画も扱 うつもりです)、もともとセルビアや旧ユーゴスラビアでは短編映画を愉しむ習慣があっ たようです。日本でも昭和期の映画館では本編の前に短編映画がかかっていました。 彼らと縁のある日本人も協力しました。これがJSFF=Japanese Short Film Festivalの始まり です。
セルビアの首都ベオグラードの市民ホールでにぎにぎしく開かれた「第一回セルビア共和国日本短編映画祭」には、日本から短編映画35本がエントリーしました。そしてそ の35本の作品を二日間かけて見事にすべてを上映しました。セルビアの観客は日本映画を 熱心に鑑賞し、とくに評価の高かった作品には賞状と記念品が贈られました。 
翌年(2015年)の第二回はベオグラードだけでなく東京でも同時期に上映会を開催しまし た。日本だけでなくセルビア国内からも作品を公募して両国で上映するという形式にした のです。そこで名称もJSFF=Japanese Short Film FestivalからJSFF=Japanese Serbian Film Festivalに変更して、日本では日本セルビア交換映画祭と呼ぶことになり、セル ビア国内で日本映画を紹介するというイベントから、セルビア共和国と日本が映画によっ てコミュニケーションするという国際的なイベントに成長しました。

日本人にとってセルビアは遠い国です。サッカーのスタープレイヤーだったドラガン・ストイコビッチ(愛称ピクシー)の母国であることを知っている人は少なからずいると思いますが、伝統文化や庶民の生活習慣などはあまり知られていません。東日本大震災の ときの募金活動を積極的に行なってくれたセルビアの人々の方が日本への関心は高いかも しれませんが、やはり遠い国でしょう。日本セルビア交換映画祭が少しでも両国の距離を縮めることに貢献できたならば、その意義は小さくありません。 


そして今年、JSFFは第4回を迎えます。 

*エミール・クストリッツァ監督の[アンダーグラウンド](1995年製作 カンヌ国際映画祭パ ルムドール受賞)はセルビアを知る手掛かりになります。第二次世界大戦からユーゴ内戦ま でのベオグラートを舞台にしたユーモアとエスプリの効いた時代ドラマです。クストリッ ツァ監督はセルビア国籍ですがユーゴスラビア人を名乗っています。 

映画祭を主催するのですから、もちろん映画とは何かを考えています。 さあ、もう一度問いかけてみましょう。「映画とはなんですか?」 あれれ、意外と答えるのがむずかしいですね。 リュミエール兄弟がシネマトグラフ[工場の出口]を有料上映してみせたのは1895年だったそうです。この映画誕生の背景を踏まえて映画館で掛かる映像が映画であるという答え方 もできますが、映画を観るための装置が映画館であるという言い方もできちゃいますから道に迷います。 
20世紀になると、絵画、彫刻、音楽、文学、建築、舞踊(演劇)に続く第七芸術と呼ばれた りもしました。しかし、映画には音楽や文学や建築や舞踊(演劇)の要素も加味されていま すから総合芸術という扱いをされることもあります。21世紀なってデジタルシネマという呼称も現れましたが、昨今ではもう積極的には活用されていないようです。デジタルなの かアナログなのかという議論は一時はかまびすしく交わされましたが鎮静したようなのです。デジタルかアナログかという問題は突き詰めれば映像と音声の信号形式の違いでしか ありません。それよりは作品のテーマやストーリーについて真っすぐに議論した方が有意義なのではないかということかもしれません。 たとえば小津安二郎が現代に生きていれば、新しもの好きの彼のことですから最新のデジ タルカメラで高精細な撮影に挑んだことでしょう。(もちろん推測ですが) しかし、カメラが新鋭機でも撮るシャシンの内容は相変わらず人間の愚かしさや人生の機微をやっぱりサラリと描くのではないでしょうか。 
前置きが長くなってしまいましたが(なんだ前置きだったのか)、ことほどさように映画の 定義はむつかしいのです。したがってJSFFはスカッと直感的に語ってみたいと思います。 

「映画とは闇の中から光を求める運動である」

JSFFは暗い部屋に籠って明るい世界を夢みている運動体なのです。
抽象的な言い方ですが解釈はお任せ致します。
物語の力を信じています。

 
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